こんにちは、POPです。
昨日の夕方、外出する直前に國常立神から受け取ったメッセージを、シェアしてみたいと思います。
石橋を叩くと、どうなると思いますか?
「石橋を叩くと、どうなると思いますか。
石橋には次第にヒビが入り、壊れます。
考えてみれば当たり前のこと。
地球の法則では、自明の理です。
しかし“この世”では何故か
“石橋を叩いて渡れ”と言われているようです。
何故か。
それは
“向こう側”すなわち、“この世”と呼ばれている集合体意識の範疇から逃げ出し、“自分を生きる”ことを防いでいるのです。
石橋を叩いて渡れ、というのもまた一つの呪い。
それでも、石橋を叩きますか?
石(同音のことばでは意思、Ici=フランス語でここ、なんてものもありますね。POP注)が「ただそこにある」ということを受けいれ、渡るのは難しいことでしょうか?
なぜ、自ら唯一無二の可能性の架け橋にヒビを入れるのでしょうか。
炒り豆に花は咲きました。
ありえないことがありえるのです。
ありえること、自明の理はいよいよハッキリとして然るべきです。
それでも、石橋を叩き続けるのですか。
以上のような内容を、受け取りました。
ひととおり聞いた後に、私は質問しました。
POP「なんとなくわかりました。でもあまりにも長い年月、私たちは“石橋を叩いて渡れ”と言われてきました。だから、そうし続ける人は多いと思います。石橋を叩くことを選択するとどうなるのですか。」
國常立神「石橋を叩く人が多いからと言って、あなたもそれを選ぶのですか。」
POP「自分はどちらかというと向こう見ずの方です。しかし多くの人が…」
國常立神「多くの人がどうこう、ではありません。すべての選択は個々人がなすものです。そのような時代に戻って行っているのです。選択するとどうなるのかは、選択する人の享受することです。それを選ばない人のものではありません。すべての選択は個人的なものであり、本来すべての現実・現実化は個人的なものです。
あなたがこの間真名井神社と籠神社(注 京都の神社です)に行って祈った時、空は一気に晴れ、そして一気にあられが降ったでしょう。ある人はあられの日として体験し、ある人は晴れの日として体験する。それを垣間見たということです。
どちらを“観る”のかも選択。
地は、布留辺ます。文月まではとても大事な時期です。
なにを“体験する”のかも選択。(後略)」
POP「つまり、自然現象すら、ある人は体験し、ある人は体験しないということですか。それと石橋を叩くことは一体なんの関係性があるのですか?」
國常立神「石橋を叩けば、割れる。割れたら向こう側には渡れない。それだけのことです。(後略)」
神のコメントは、時として人智を超えています。
詩的であり、そもそも言語ではないため、おろしてきても解釈には様々な見方があるでしょう。
石橋を叩いて渡るという表現は、あくまで「ことわざ。」
でも國常立神の言う通り、石に物理的な力を加え続ければ、それは割れる。地球においての自然の道理です。
皆様は、この一蓮のメッセージをどのように受け取るでしょうか。受け取りもまた選択であり、個性豊かなものなのではないかと思います。
ひととおり聞いた後、夕焼けの中。那覇、松山のMirror HIGH LIFEに向かいました。(仲間とやっているラウンジです。)どういうわけか、その日お客様からは「人生のターニングポイント」の話題が、沢山出た気がします。
不思議ですね。
ぜひ、皆様の感想や思いを、お聞かせいただけたら幸いです。
今日は、魔術のカメの日。不思議なシンクロの日でもありますので…
宇宙に思いを馳せてみてください。
布留辺 由良由良渡 布留辺…
POPより
POPよりお知らせ
近日のセッション空き状況です。いつもご予約誠にありがとうございます!
好評につき増席!16時の回、1名さまのみご案内できます。2月の沖縄でのセッションは、これ以外は全て満席御礼となっております。
3月5日(木)17時17分の回のみご案内できます(残席1)
3月13、14、17、18東京「天然石とアロマ癒しのヒーリング」
残席少なくなってまいりました。ご検討中の皆様は、お早めのご予約をお願い申し上げます。
こうして全国で皆様にお目にかかる機会を頂いて、心より感謝申し上げます。そして、是非那覇にも遊びにいらしてください。これからが、良い季節です!