【インディーズ神事】ミクサノカムタカラ〜無意味とスペース〜

こんにちは、POPです。

2020年11月21日・22日は再び鳥取県の大山町に赴き、「星詠み」大下志穂さん、「レインドロップ(アロマトリートメント)」具志典子さん、そしてわたしの「クリスタルヒーリング」でコラボセッションを行なっておりました。

※具志法子さんInstagramより

セッションを通じ、思ったこと。

今を生きる人全員に通じる、共通テーマが見えてきました。


  • 今は「活性と鎮静が同時に起きている時期」。次に進む前に、問題が解決されているのか、自分の心の傷が癒される方向に向かっているのか検証する時期。体を養生する時期でもある。心身の養生を通じ、次に向かう強い自分へ。
  • 全てが順調なフリをしない。光に向かおうとするあまり、闇を置き去りにすると自分が暴発する。今静かに見定める。闇を見る勇気を持つ時期。
  • 闇を見切った時=恐れを超えた時に初めて受け取れる最幸のものがある!

今生のこと、過去(過去世)のこと。10名様のセッションから様々に浮かんできたエピソードと、今ここにあるお体。大切にセッションさせていただき、多くの学びと癒しをいただきました。ありがとうございました。

さて、セッション二日目の朝。私たち3人は、長田集落の入り口に向かいました

通称「ミハシラ」

長田集落の入り口にそびえ立つ、一本の柱。

こちらは、先週参加した「イトナミダイセン藝術祭」のアートプロジェクトの一環として、地元の木を切り出し、地元の人々が協力して建てたモニュメント。

こちらの藝術祭はとにかく面白く…なんというかプリミティブ。

実際に手を動かし、足を動かし。体験して創り上げていくプログラムが多いのです。こちらのサンキャッチャーも、その一環で淡路島スウェットロッジコミッティさんがシェアしてくださった制作体験で生まれました。(淡路島スウェッドロッジコミッティの皆様は、ネイティブアメリカンの叡智を学び、シェアし、生活に具現して活動されています)

長い人類の歴史は、生活の営みと共にあった。

イトナミダイセン藝術祭には、無数の生活の営みが織りなしてきた地球歴史への敬意が溢れていました。さて、そのプログラムの中で、むきばんだ史跡公園にて専門家のご指導のもと、古代の「勾玉」「剣」「鏡」を作る…という興味深いプログラムがあったそうです。その時大下さんが製作したのが、こちら。

ミニチュアサイズでとても可愛い「ミクサノカムタカラ(3種の神宝)」。

せっかく製作したこちらを、ただ「面白そうだから」という理由で、大下さんが埋めるというのです。面白そうなので、わたしもついていきました。

面白そうだからみんなで立てた柱に

面白そうだから宝を埋める。

そこに面白さはあるが、意味はない。

…そう、それは意味のない神事、「空」。

無から有を創り出す。スペースを作り出すことは、多次元宇宙を作り出すことに通じます。アクセス・ボディプロセスに「クセノスの空間的形態とFATの逆転」というものがありますが、ざっくり言えば「奇妙な空間を持つことを自分に許容すると何が起きる?」というパラレルワールド的なもの。それが今、起きようとしています。

穴を掘る
草、米、酒、クリスタルパウダーとともにミクサノカムタカラを配置
そびえ立つミハシラ
阿波の清酒を伯耆の地に撒く

十種神宝祝詞を奏上した後、時間を左巻きにするイメージでひふみ祝詞。そしてヒップホップでミクサノカムタカラを「ただ無意味に埋める」ことを宣言した後ネイティブアメリカンに伝わる歌を大下さんが奉納。具志さんが見守ってくれました。

今回のカミゴトには、全く意味はありません。

ただ面白そうだから、ただやる。

大人3人が早起きして遊んでいるだけのこと。

この意味のない「空(クウ)」が許容される世の中にすでになっており、ますますなっていく。

意味づけを用いてコントロールしてきた時空が、ますます遠くなっていく。

勝手に、そんな気がしました。

皆様も、ぜひ気が向いたら、無意味なインディーズ神事を行ってみてください。

その時…真の「神遊び(カミアシビ)」が復活するのかもしれません。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

本日も、素敵な1日をお過ごしください。

POP拝

あたらしい。

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