連続シャーマン小説「日暮時空探偵事務所」第2話

「なあ光子」

 閻魔通りに面した西陽のキツい窓の外を眺めながら、先生が言いました。今は定時上がりの5分前。できれば話しかけられたくないタイミングでしたが、先生はこういう時に限って、意味深な話を始める節があります。

「なんでしょう、先生。わたくし今日は…」

「まあ待て。お前さんの大好きな、舟和の芋羊羹も買ってある」

 これは、なんとしたことでしょうか。舟和の芋羊羹は大好きですが、頂くにあたっては、美味しいお茶が必要。できれば鹿児島の知覧茶が飲みたいのです。しかしお茶をじっくり美味しくいれておりましては、何としても死守したい定時を過ぎてしまう。私の心の中には、激しい葛藤がありました。それを遮るように、先生は紙箱に入ったままの芋羊羹とあんこ玉、そしてウォーマーで煮詰まり過ぎたコーヒーを、すこし縁が欠けたマグカップに入れて突き出して来ました。

 卑怯です。最高と最低を同時に持ちカードとして切ってくる時空探偵。それが当事務所所長の日暮。我が事務所に持ち込まれる奇想天外な案件は、前置きから聴くと寿命が尽きてしまうほど壮大です。それを端折る為に先生がいつのまにか身につけた処世術が、こんな喋り方なのでした。

 いいでしょう。今日は少しぐらい話を聞いてやりましょう。そのかわり残業代も付けてやりましょう。観念して私は、芋羊羹に楊枝を差し込みました。その瞬間、全く無益な色気ある笑顔で、先生はニヤリと笑いました。

「『襤褸を纏えど心は錦」という言葉だけにすがり生きているが、溜まっていく請求書を見ると錦も翳る」

「先生、お言葉ですがそれは此方の台詞です。『あの方』たちの仕事を受けるのは結構ですが、『あの方』たちには、ニンゲンと同じようなお金の概念がありません。秘書兼経理の私が、どれだけ苦労を…」

 遮るように先生。

「光子、朗報だ。今年の冬は、お前にボーナスを弾んでやれそうだ。」

 

…えっ?????

…マジ?????

ボーナス!

 

 なんという甘美なる響きでしょう。定時1分前、なぜ先生はこんな言葉を語ってくるのでしょう。入所いらい雀の涙のお給金で我慢して来ましたが、ここにきてボーナス!歓びのあまり、思わずマイクロビキニで、リオのカーニバルに参加したい気分になりました。脳内には陽気なサンバが流れ…飛んでリオデジャネイロ。いや、ダメよ光子!現ナマをみるまでは!

 わたしはすかさずピンク色のあんこ玉を口に放り込み、急いで味わった後に厳しい表情を作って宣告しました。

「先生!お言葉ですが、当探偵事務所の台所事情は、この光子がもっとも把握しております。ボーナスはおろか、来月のお給金も風前の灯というのに、なんでそんな絵空事をおっしゃるのですか。」

 先生は無表情で緑色のあんこ玉(わたしが密かに狙っていた好物)をパクリとやっつけ、コーヒーを含んでニヤリ。

「タカムラが来る。」

 「…え?!タカムラさんが?」

 「ああ、タカムラだ。あいつが、これから支払いに来る。ついでにいつもの薀蓄を披露したがってる。昨年からの天変地異…洪水や地震、そして封印の譚だ。」

 

 タカムラさん。

 …ああ。そういうことか。だから舟和の芋羊羹、か。

 先生は今日最初っからそれを知っていて、こんな時間に言うという意地悪。そうでしたそうでした。舟和の芋羊羹は、タカムラさんの大好物で、東京に来たらいつも食べたがります。だから先生もわざわざオレンジ通りで買っておくのです。どうりで昼間出かけていたわけね。

 タカムラさんは理知的で話のわかる、それでいてユーモアに溢れたお方。我が探偵事務所の上客の一人で、友人付き合いに近い親しい交流をさせていただいております。こんな話をするのはアレですが、お金にスマートな方なので、経理としては安心しておつきあいができます。『あの方』たちの一派としては、珍しく地に足のついた方と言えるでしょう。

「でも先生。」

 「なんだ光子。」

 「タカムラさんがいらっしゃるということは…朗報としては先払い。」

「その通りだ。喜んでくれ。」

「悲報としては…簡単な案件ではないということですね。そして今夜は残業になる」

「残業なんて野暮はしない。久々にタカムラが来るんだ。他所で話せない話をしたら、その後は観音裏に繰り出すさ。フランス料理と洒落込む。予約はしてある。」

「ふ、フランス料理?!先生、取らぬ狸の皮算用はやめてください!」

「呆れた。お前は、この日本に伝わる『予祝』を知らないのか?あらかじめ言祝いで(ことほいで)置くことで、未来の世界線を変える慣習だ。めでたい酒ぞ。」

 

 その時、ギギィと重い音。扉が開きました。

西陽が色濃く差す、雑居ビルの中5階。

ドアの向こうの闇から、風がすうっと吹き込んで来ました。

 

「遅かったなタカムラ。まあ座れ。」

足音だけがコツコツと不思議に響き、扉がバタンと閉まりました。そして案件が始まる時特有の空気が、静かに室内を満たし始めたのです。

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あたらしい。

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