巫病について、全3回の短期シリーズです。
台風に伴う諸々で、更新が遅くなってしまいました!
巫病の世界の歩き方③「巫病に終わりはあるのか?」(次回公開記事)
ただそこにいる、の先に進むには
巫病を自覚したら、まず第一に「ただそこにいるということを実現するための第一歩」にチャレンジすることが大切だというお話を、前記事ではさせていただきました。
ただそこにいること。それは、形式的な祈り、儀式以前に存在する、最大の「不思議へのアクセス法」です。
想像してみて下さい。
山で遭難したとき、自分の現在位置を把握せず、やみくもに歩くとどうなるでしょうか。ほぼ100%、遭難するでしょう。
「ただそこにいる」とは、自分の今いる場所を把握する行為です。
やみくもに動く=巫病で辛いにも関わらず、ムリに「今までの日常」をキープしようとすること。できない自分を責めること。
巫病も、病気です。
原因は何であれ、実際に心身に症状が出ています。病気を改善したいと思ったら、基本は養生です。「そこに至った根本的な原因を把握し、改善するための行動を取る」ということ無しに、完治はあり得ません。
巫病関係の記事で繰り返し書いてきましたが、その意味でも、病院で徹底的に検査をしたり、セカンド・オピニオンを取ることは無意味ではありません。不思議系の記事では「病院では治らない●●」ということが繰り返し語られるため(実際にそれは多いのですが)、「では病院に行ってはいけないんだ」と誤解する人が多いように思います。
それは、あまりに短絡的な発想です。
ほかならぬ自分に起きていることを検証する。その検証を何件か、真摯に行ったうえで「わからない」ならば、「物理界ではわからない」ものに原因があるという可能性が初めて「わかる」のです。
なので、巫病になったと思ったら、まずは病院に行ってみて下さい。
受診することで、外せる思い込みもあります。
これが大事。
方法が何であれ、「思い込みを外していく」。
これが、「ただそこにいる」の先の第一歩です。
自分と宇宙を隔てているもの
自分と宇宙(不思議、神…どのような言い方でも)を隔てているものは、単純に思い込みです。
宇宙、神、高次元の存在うんぬん以前の問題として、「自分と自分の分断を作り、他人軸で生きる」という現象を作っているのも、思い込みです。
不思議とつながる以前に、まずは宇宙の最小単位である自分とつながる必要がある。巫病解決の第一歩は、ほんとうに身近なところにあるのです。自分を置き去りにして、フワフワとありがたそうな何かに救いを求める。これは他人軸で生きることと、何ら変わりはありません。
思い込みという名の色眼鏡を、まずは外していきましょう。
方法は、何でも構いません。
認知行動療法的に、日記を書くのでもいいでしょう。
アクセスバーズで、サクっと思い込みを外すのもいいですね。
マッサージやエステなど、「体の感覚に集中できること」を体験し、思考への過剰な集中を解くのもお勧めです。
やってみるまで、自分に有効なものはなにかわかりません。
とにかく、ピンときたことに、アプローチしてみて下さい。
「わたしはどうせ〇〇だ」
「わたしはきっと〇〇できない」
「あのひとは〇〇と思っているに違いない」
これらはすべて、思い込みによる決めつけです。大半は、まだ現実的に起きていない。100歩譲っても、目の前で起きていたり、言われていることではないことに、留意してください。
思い込みを捨てる。
それが、最大にして最速の、自分の本質に近づく方法です。
本質に近づいたとき、巫病の原因は、おのずからわかります。
修業と本質
巫病とは、シャーマンになる過程で「本質を明らかにしていく」ということだと思います。
①巫病になる
②これをきっかけとし、自分の本質を見つめる
③自分の本質(=世界に貢献できる、各自の持つ唯一無二の方法)を理解する
④本質に基づき、行動する
この4ステップのうち、前半の①と②が、巫病です。
③と④が、当記事の本題「修行」と呼ばれる部分かと思います。
自分の持っている能力を把握し、実行することで社会貢献する「練習と実践」です。
私の個人的な経験から申し上げますと、③と④については、一生終わりのないことだと思います。料理人が、一生をかけて味を探求するのと一緒です。好きだから出きることとも言えます。どの業種であれ、仕事とは、広い目で見れば「社会貢献において、任意の分野で人の命を預かる行為」なので、探求と研究、安全上の配慮はとても大切だと思います。だから、③と④は大事です。
しかしながら、シャーマンというジャンルでは、①②④がとかくすっ飛ばされがちではないかと、個人的に思います。
自動車普通免許に例えてお話してみましょう。
①車が無くて困る
②車を運転するには、免許取得が必要と知る。申し込みの過程で、視力検査なども受け、必要な書類を準備する。
③教習所にみずから申込み、教習を受ける中で自分の運転のくせや得意、不得意を知る。
④自分の乗りたい車に乗る。必要な場合は大型免許なども取得する。日々運転し、運転技術を向上させる。
ごく、当たり前ですよね。やるべきことは、「必要なことを冷静に把握し、実行する」これだけです。
しかし、①(免許がない)時期に、
「わたしは、どうせ運転が下手に違いない」
「〇〇さんが、わたしをドンくさいといったから、免許は無理かも」
「運転の自信がない」などとモヤモヤしていたら、いつまでたっても②にはたどり着きませんし、③、④にも行きつきません。
最大の関門は「免許を取る」という選択を自分がするか、しないかです。
修行云々の問題以前に、「やる、やらない」の選択をする。
その選択をいつも邪魔する「思考のモヤモヤ、考え方のくせ」があるなら、それを見極め、改善する。
まずは、そこから。
「自分を邪魔する思い込み」を外すことこそ、修行以前の最大のチャレンジであり、ここがクリアしたら、②③④は爆速で進むでしょう。
修行≠苦行
修業とは、「煩悩(モヤモヤ)を外す」こと。そして、「モヤモヤのせいで発動できていない実力を、徐々に発展させていくこと」です。
かつては、苦行で煩悩を外す方法が一般的でした。エクストリームな事態に巻き込まれたら、そこに集中せざるを得ないので、モヤモヤを考える暇がないのです。
では、モヤモヤを苦行なしで外せたら?
苦行なしに、修行ができます。
今、巫病、あるいは原因不明の心身の症状に苦しむ皆様。
まずは、自分が少しでも楽になる方法を、とることから始めて下さい。
そして、心身の余裕が生まれてきたら、モヤモヤを外すことを初めてください。
シャーマンの能力を発展させるとき、能力の把握と的確な発展は必要です。
それは、かつての言葉では修行、と呼ばれたものです。
しかし、修行以前に大事なのは、能力の把握を阻害する「思考の罠」とバイバイすること。巫病解決の本質は、この部分に尽きます。
結論から申し上げれば、「修行」という部分で巫病は解決しません。
具合が悪い状態で、運転免許の教習所に通っても、教習ははかどりません。
それと同じです。
まずは自分の本質発見に、しっかりと取り組む。
そのうえで、自分はどの解決法を取りたいのか。
そこから、始めていきましょう。
大丈夫です。
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