巫病の世界の歩き方②「修行で巫病は解決できる?」

巫病について、全3回の短期シリーズです。

台風に伴う諸々で、更新が遅くなってしまいました!


巫病関連の記事は「こちら」

巫病の世界の歩き方①「まず第一にできること」(前記事)

巫病の世界の歩き方②「修行で巫病は解決できる?」(当記事)

巫病の世界の歩き方③「巫病に終わりはあるのか?」(次回公開記事)


ただそこにいる、の先に進むには

 

巫病を自覚したら、まず第一に「ただそこにいるということを実現するための第一歩」にチャレンジすることが大切だというお話を、前記事ではさせていただきました。

ただそこにいること。それは、形式的な祈り、儀式以前に存在する、最大の「不思議へのアクセス法」です。

 

想像してみて下さい。

山で遭難したとき、自分の現在位置を把握せず、やみくもに歩くとどうなるでしょうか。ほぼ100%、遭難するでしょう。

 

「ただそこにいる」とは、自分の今いる場所を把握する行為です。

やみくもに動く=巫病で辛いにも関わらず、ムリに「今までの日常」をキープしようとすること。できない自分を責めること。

 

巫病も、病気です。

原因は何であれ、実際に心身に症状が出ています。病気を改善したいと思ったら、基本は養生です。「そこに至った根本的な原因を把握し、改善するための行動を取る」ということ無しに、完治はあり得ません。

 

巫病関係の記事で繰り返し書いてきましたが、その意味でも、病院で徹底的に検査をしたり、セカンド・オピニオンを取ることは無意味ではありません。不思議系の記事では「病院では治らない●●」ということが繰り返し語られるため(実際にそれは多いのですが)、「では病院に行ってはいけないんだ」と誤解する人が多いように思います。

 

それは、あまりに短絡的な発想です。

ほかならぬ自分に起きていることを検証する。その検証を何件か、真摯に行ったうえで「わからない」ならば、「物理界ではわからない」ものに原因があるという可能性が初めて「わかる」のです。

 

なので、巫病になったと思ったら、まずは病院に行ってみて下さい。

受診することで、外せる思い込みもあります。

 

これが大事。

方法が何であれ、「思い込みを外していく」。

これが、「ただそこにいる」の先の第一歩です。


自分と宇宙を隔てているもの

 

自分と宇宙(不思議、神…どのような言い方でも)を隔てているものは、単純に思い込みです。

 

宇宙、神、高次元の存在うんぬん以前の問題として、「自分と自分の分断を作り、他人軸で生きる」という現象を作っているのも、思い込みです。

 

不思議とつながる以前に、まずは宇宙の最小単位である自分とつながる必要がある。巫病解決の第一歩は、ほんとうに身近なところにあるのです。自分を置き去りにして、フワフワとありがたそうな何かに救いを求める。これは他人軸で生きることと、何ら変わりはありません。

 

思い込みという名の色眼鏡を、まずは外していきましょう。

方法は、何でも構いません。

認知行動療法的に、日記を書くのでもいいでしょう。

アクセスバーズで、サクっと思い込みを外すのもいいですね。

マッサージやエステなど、「体の感覚に集中できること」を体験し、思考への過剰な集中を解くのもお勧めです。

 

やってみるまで、自分に有効なものはなにかわかりません。

とにかく、ピンときたことに、アプローチしてみて下さい。

 

「わたしはどうせ〇〇だ」

「わたしはきっと〇〇できない」

「あのひとは〇〇と思っているに違いない」

 

これらはすべて、思い込みによる決めつけです。大半は、まだ現実的に起きていない。100歩譲っても、目の前で起きていたり、言われていることではないことに、留意してください。

 

思い込みを捨てる。

それが、最大にして最速の、自分の本質に近づく方法です。

本質に近づいたとき、巫病の原因は、おのずからわかります。


修業と本質

 

巫病とは、シャーマンになる過程で「本質を明らかにしていく」ということだと思います。

 

①巫病になる

②これをきっかけとし、自分の本質を見つめる

③自分の本質(=世界に貢献できる、各自の持つ唯一無二の方法)を理解する

④本質に基づき、行動する

 

この4ステップのうち、前半の①と②が、巫病です。

③と④が、当記事の本題「修行」と呼ばれる部分かと思います。

自分の持っている能力を把握し、実行することで社会貢献する「練習と実践」です。

 

私の個人的な経験から申し上げますと、③と④については、一生終わりのないことだと思います。料理人が、一生をかけて味を探求するのと一緒です。好きだから出きることとも言えます。どの業種であれ、仕事とは、広い目で見れば「社会貢献において、任意の分野で人の命を預かる行為」なので、探求と研究、安全上の配慮はとても大切だと思います。だから、③と④は大事です。

 

しかしながら、シャーマンというジャンルでは、①②④がとかくすっ飛ばされがちではないかと、個人的に思います。

 

自動車普通免許に例えてお話してみましょう。

 

①車が無くて困る

②車を運転するには、免許取得が必要と知る。申し込みの過程で、視力検査なども受け、必要な書類を準備する。

③教習所にみずから申込み、教習を受ける中で自分の運転のくせや得意、不得意を知る。

④自分の乗りたい車に乗る。必要な場合は大型免許なども取得する。日々運転し、運転技術を向上させる。

 

ごく、当たり前ですよね。やるべきことは、「必要なことを冷静に把握し、実行する」これだけです。

 

しかし、①(免許がない)時期に、

「わたしは、どうせ運転が下手に違いない」

「〇〇さんが、わたしをドンくさいといったから、免許は無理かも」

「運転の自信がない」などとモヤモヤしていたら、いつまでたっても②にはたどり着きませんし、③、④にも行きつきません。

 

最大の関門は「免許を取る」という選択を自分がするか、しないかです。

修行云々の問題以前に、「やる、やらない」の選択をする。

その選択をいつも邪魔する「思考のモヤモヤ、考え方のくせ」があるなら、それを見極め、改善する。

 

まずは、そこから。

「自分を邪魔する思い込み」を外すことこそ、修行以前の最大のチャレンジであり、ここがクリアしたら、②③④は爆速で進むでしょう。

 


修行≠苦行

 

修業とは、「煩悩(モヤモヤ)を外す」こと。そして、「モヤモヤのせいで発動できていない実力を、徐々に発展させていくこと」です。

 

かつては、苦行で煩悩を外す方法が一般的でした。エクストリームな事態に巻き込まれたら、そこに集中せざるを得ないので、モヤモヤを考える暇がないのです。

 

では、モヤモヤを苦行なしで外せたら?

苦行なしに、修行ができます。

 

今、巫病、あるいは原因不明の心身の症状に苦しむ皆様。

まずは、自分が少しでも楽になる方法を、とることから始めて下さい。

そして、心身の余裕が生まれてきたら、モヤモヤを外すことを初めてください。

 

シャーマンの能力を発展させるとき、能力の把握と的確な発展は必要です。

それは、かつての言葉では修行、と呼ばれたものです。

 

しかし、修行以前に大事なのは、能力の把握を阻害する「思考の罠」とバイバイすること。巫病解決の本質は、この部分に尽きます。

 

結論から申し上げれば、「修行」という部分で巫病は解決しません。

具合が悪い状態で、運転免許の教習所に通っても、教習ははかどりません。

それと同じです。

 

まずは自分の本質発見に、しっかりと取り組む。

そのうえで、自分はどの解決法を取りたいのか。

 

そこから、始めていきましょう。

大丈夫です。

 


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