出ていくと初めて見えるものがある

 私が生まれ育ったのは、東京の下町です。28歳までその街にいました。

 商店街が有名で、祖父、曽祖父の時代からずーっと同じ場所でやっている小商いがあり、ご多分にもれず我が家もそう。近所には「祖父の建てた家」があり、お正月前になるとご近所の方が「あそこのおばさんは結髪(ケッパツ。日本髪を結うこと。おばさん、というのは祖母のこと)が上手だから」とやってくる。そんな環境でした。すなわち大体のことが筒抜けで、朝になると誰かが醤油を借りにくることもある。プライバシー少なめ。情報は正直、Twitterよりも早く回る(この辺りは今でもそうですが)。

 ごく短い期間、都心で一人暮らししたものの、舞い戻ってしまった私。その後数年、その街を出ていく時について、思いを馳せていました。そして一旦出ていってからは、なかなかその街に帰る機会は無く、間が空いてしまうようになりました。

 たまに帰ると、気づくことが沢山あります。

 「出ていって初めて見えるもの」そういったものがくっきりとわかるようになる。

 この街のオカズ屋さん、鳥肉屋さん、商店街といったものが、昔から忙しく働く人々の味方で有り、今もそうであること。お小遣いで買える値段のコロッケなんかもあって、子どもたちの様子を駄菓子屋さんと共にそれとなく見守っていること。SNS顔負け、超高速で回る情報は、ある意味セイフティネットの時もあること…

 若い時は「いやだな」というレッテル、色眼鏡でみていたことが、「出ていく」ことで視点が変わり、新たな角度の顔を見せる。多くの人、一人一人が「自分のオリジナルエナジーによる経済」に参画している街なのだな、という気づきを得ました。

 もしかしたら、もしかすると。この街は、オリジナルエナジー(元氣)によるあたらしい経済の時代になった時、「古臭い街」というイメージが反転して、最先端シティになるかも知れない。そう考えると、幾世代を経て、焼け野原から高度経済成長期も、バブルもその後のアレコレも乗り越えてくれたおじさんおばさんにアリガトー!といい、唐揚げを爆買いしたくなります。同世代が新たなビジネス(乾物屋さんが、乾物を活用した超美味しいパンを作ったり)と共に温故知新しているのも面白い。また、この街に引っ越してくる人も、なぜか小商いをしていたりしてこれまた面白い。

 現在は再開発が進み、都市型複合施設も増えてきたこの街ですが、絶妙な時空バランスで成立していて、興味深いです。(東京サロンでセッションになりますと、必然的にその商店街を通り抜けることになりますので、お楽しみください!)

 出ていってはじめて、見えるもの。

 「出ていく」というキーワードからは、たくさんのことが想像(創造)されます。お金が出ていく、表舞台に出ていく、今いる場所から出ていく…


あなたにとって、「出ていく」とはなんでしょう


 どの場合の「出ていく」も、多かれ少なかれ、勇気が必要です。

 どうやら今、その勇気のスイッチを入れるタイミングが来たようですね!

 出ていったことで見える景色が、より豊かで、創造に溢れたものでありますように♪

 いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 本日も面白い1日をお過ごしください。

 POP拝


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あたらしい。

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