こんにちは、POPです。
旧約聖書の「創世記」に、「バベルの塔」という逸話があります。
「天まで届く建造物を作ろう、そうすれば有名になれる!」そう思った人々の傲慢さが神の怒りをかい、そこから言語はバラバラになってお互い意思疎通が図れなくなり、計画が頓挫して「言葉をわかり合うもの同士」がグループをなし、離散していった…というストーリーです。
様々な教訓を含む「バベルの塔」ですが、ここから先の現実でも。
「読みとれない人」が急速に増えていくようです。
書き言葉への反応
これから起こりうる変化は、「書き言葉への反応」にまつわるエピソードです。
書き言葉での表現(SNS、メールその他)に対し、自分が「読みとれない」文脈に対して怒りを爆発させ、ぶつけてくる人を多く目撃するかもしれません。
対応についてのポイントを2点、先に説明します。
1)一見トラブルに見えることは、直接面識のある人の場合、会って話すか電話で話す。そうすると、わだかまりは溶ける。
2)直接面識の無い人 or よく知らない人から炎上的アクションがあった場合、即答しない。リアクションしない。クールダウンを待つ。
なぜ、上記のような対応になるのか。
この時期、言葉に怒りを爆発させる人は、実は個々の事柄に対して怒ったり意見があるのではなく、「自分が読みとれないこと/わからないことへの苛立ち・不安」に反応しているからです。つまり、原因は彼らの中にある不安とジレンマです。
何かの表現が、たまたま「スイッチ」を押しただけ。そういう見方もできます。
これは、承認欲求にまつわる集合体意識の変化から起きています。
バベルの塔はなぜ崩壊したのか
バベルの塔以前の「ことば」は、もしかしたら言語ではなくエナジーだったのかもしれません。「ことば」という表現が元々持つように、コトタマのエナジーに羽が生え、相手の心にフワっと降り立つようなもの。とても優しいけれど、刺激は少ない。
何らかの理由で自分の存在価値を見いだせず、「有名になれるぜ!」という承認欲求に突き進んだ、いにしえの人々。罰を与えたのは神ではなく、自分たちの存在価値を外的行動に認めた結果、自然に起きたことのような気もします。
つまり、存在価値を作り出すための、区別の「言語」。
それは「ことば」ではなく、区切り。
承認欲求で人々を支配していた、コントロールの集合体意識。それが解けるときに、エナジーとしてのことば(コトタマ)は、再び強まるでしょう。本質的なエナジーではなく、区切りとしての言語にのみ依存してきた人は、自分を保つために必死で言語を操ろうとする。
その結果、「読みとれない人」が激増するようです。
ちなみに、これは大なり小なり、誰にでも起こりうることです。
「読み取れる人」「読みとれない人」という二分化にフォーカスすることは、あまり意味がありません。対応策について、考えてみましょう。
「読みとれなさの時期」のヒント
- 人に「物申したくなった」時は、自分がなぜそうしたいのか検証するいい機会。
- 他者の口論や問題、悩みに干渉しない。それは本人が解決することです。
- 活字の書き言葉(メール、SNS、etc)を全てと思わない。
- 大事な内容は、極力会って話す。難しいならば、テレビ電話等を活用する。(声のエナジーが入るから)
- 他者に怒りをぶつけられた時、相手の機嫌を取ろうとしない。
- 他者に自分の機嫌を取らせようとして、思わせぶりな表現をしない。
- 止むを得ず書き言葉で伝言する時は、手書き(エナジーが入る)が安全。
- 記録は手書きで取ると安全。
- ひとつの言葉で全てを結論づけない。これが何より大事。
要は、「読みとれた時」も、「読みとれない」時も、それを怒りの起爆剤にする必要はないと言うことです。むしろ、お互い自分の中を静かに検証するいいチャンス!
色々な意味で「ことばが噛み合わない」エピソードは増えて行きますが、その時はエナジーを点検し、エナジーがまだ噛み合っているかどうか、静かに探ってみましょう。
「ことばのエナジーって何だろう?」
わからなくなってしまったら、小説を音読してみたり、音楽(ボーカルが入ったもの)を聞いてみたりして、感じてみてください。
この期間は、自分が読みとれるタイプのエナジーを深く知る、とても良い時期でもあります!(満月ぐらいまで)
深く…エナジーに親しんでみてくださいね!
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
本日も素敵な1日をお過ごしください。
POP拝