「わかる」と「人工的わかりやすさ(定型文的成功論)」の違い

 最近関心があること。

 「わかる」と「人工的わかりやすさ」の違い。

 「わかる」は、単純に腑に落ち、エナジーと行動が瞬時に一致すること。

 人工的わかりやすさは、定型文的な表現で短期的な達成感、高揚感を体験させるものです。

 例えば、SNSでこういった文章をよく目にしませんか?


これはガチ。SNSでは出回っていない情報なんだけど!〇〇ならこれがおすすめ。〇〇知らないで損してる人が多すぎる…▲▲しないと、どれだけ■■しても意味ないから。〇〇への最短距離知りたい人は↓↓


 上記の文章の構成を見ていきましょう。

①冒頭に確かな情報であると断言する

②一般に出回らない情報であると追記する(情報の希少性)

③「おすすめ」という文言で、個人の感想としての親しみを与える。

④「損」という文言で不安感を煽る。

⑤「▲▲しないと、どれだけ■■しても意味ない」という文言で自己決定権や自己選択、多様性を否定する=自らの情報の希少性を強調する。

⑥「〇〇への最短距離」という文言で、望む状態への短期的な達成感、高揚感を体験させる。


 わたしはこういった発信を「人工的わかりやすさ構文」と名づけ、1年ほど様々な文体を研究してみました。

 そこにあるのは、虚無です。

 高揚感を煽りつつ、その背後に不安をちらつかせて心理操作する方法は、コントロール社会の常套手段です。③の文言で「個人の感想、個人の発信」という感を高めているのが、非常に現代的と言えます。

 日頃自らの選択を意識していれば、「人工的わかりやすさ構文」に心惑うこともないでしょう。しかし、選択を他者に任せていたり、「わたしはどっちでもいいよ」という癖がついていたら、「人工的わかりやすさ構文」に巧妙に飲み込まれてしまうかも知れません。

 かつては「みんなやってるよ」という形で発信されていたコントロールへの誘いは、現代的には「わたしはやっている、これを選択しているよ」という形に偽装しているのです。

 もちろん、発信者の中には他意は無く、本当にそれが素晴らしいと信じて行動している人もいるでしょう。でも、何かが素晴らしいということを証明するために、それ以外のものを貶す必要は、どこにもありません。そこに善悪、正解、不正解は本来ないはずです。


 自分がただ「わかる」から、ただ「やる」。

 このシンプルさが、あなたを本来のあなたに導いていくとしたら?


 ゴールデンウィークをはじめとするホリデーシーズンは、様々な情報がいつも以上に溢れ、「人工的わかりやすさ」もまた目につきやすいタイミングです。こんな時こそ、自分の「個」に立ち帰り、静かに選択していきたいですね。

 いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 本日も「わかる」1日をお過ごしください。

 POP拝


 個でありながら、個を超えていく時代が来たようです。

「あなたの体験を通じて、全宇宙は更新されていく」


【POPちゃん/木田時輪セッションのご案内】

「沖縄県那覇市」「京都府京都市」を中心に、全国でセッションしております。各種ヒーリング・チャネリング等の講座も開催中。

ホリスティックセラピー水と星HP

ホリスティックセラピー水と星のヒーリングスクール・講座

【POPちゃん/木田時輪の発信】

公式LINE‬(登録推奨:定期的なお知らせ・総合情報発信)

Twitter(リアルタイム情報中心)

note(日々のこよみ情報と読み物)

Instagram

週刊連載「クリスタルでミラクル⭐︎オラクル」

 

あたらしい。

コメントを残す

ツールバーへスキップ