こんにちは、ときわです。
昨日は彼岸の入りということもあり、なんとなくザワザワした人も、多いのではないかと思います。
この時期、とりわけ9月頭から次の満月までのザワザワについては、別途記事に書くとして…
この記事では、「受け身と受け取りの違い」というお話をしたいと思います。
受け身の盲点「ありのまま」
ズバリ、「ありのまま」ということの盲点について、言及します。
「ありのまま」それ自体が悪いのではありません。
まず、「ありのまま」の状態を認識して初めて、変化が始まるのです。
人が問題を感じるとき、ほとんどの場合は「ありのままでない自分」を演出しています。
ありのままでない自分とは、他人軸に合わせた自分。
他人に「良い人」と思われる人。社会的に成功した人と思われる人。
自らの存在意義の尺度を、自己存在の外側に置いて「●●な人」を目指すとき、人はどうなりますか?
壊れます。
それは、一見寿命という形かもしれませんし、心身を病む、という形で表出する人もいます。
あるいは、他者への過剰な「お世話」「依存」、逆に「攻撃」。
自然界に目を向けてみましょう。
人間以外は、頑張っていません。
植物が「愛されるためのお花コーデ」をしているわけではない。
動物は、生存本能のため、懸命にそれぞれが生きている。
人間は勝手な尺度で「いい」「悪い」「残酷」「最高」などと、彼らを見て決めつけている、ただそれだけです。
とにかく、「人間社会の尺度」に合わせすぎている状態は、自然界と乖離しています。
どのような状態であれ、尺度という色眼鏡を外し、現状の自分を見て「今、ここのありのままを見る」。
それは、「次なる一歩」の手掛かりになるのです。
ありのままは、出発点。
出発点で足踏みし続けるの?
巷では「ありのままでありつづけることの美しさ」が語られます。
しかし、ありのままは出発点です。
勢いよく行進し始めたはいいものの、出発点で足踏みし続けたら…?
どうなるでしょう。
地面には、徐々に穴が開いていくでしょう。
知らず知らずのうち、一ミリずつ、穴にはまっていって…
気が付いたら、出られなくなる。
これが、「ありのまま」の罠。
「ありのまま」だと思っていたら、「とんだアリ地獄」というわけです(怖)
「ありのまま」を見て、次に進むアクションを選び、進むのか。
「ありのまま」に酔って、気がつかぬうちにドツボにはまるのか。
「ありのまま」の超えていった先はどこか見ていないと、このようなことが起きます。
同じ時期に「気づき」、同じ時期に行進を始めても、「進む人」「ハマる人」に分かれる可能性がある。
ちょっと、衝撃ですよね。
何かに気づいたら、変えられます。
変えるための行動が、選択できる。
「それはわかっているんです、でもね…●●がね…」という状態は…
足踏みです。
- 「ありのまま」を見て、次に進むアクションを選び、進む=受け取り
- 「ありのまま」に酔って、気がつかぬうちにドツボにはまる=受け身
ズバリ、そのような違いです。
足踏みが浅いうちに抜け出すには?
私たちは、誰しも「受け身」と「受け取り」を混同する可能性があります。
自分にとって大事な(言い方を変えれば、こだわっている)トピックほど、このドツボにはまりやすいのです。
ココから抜けるには、どうすればいいのか?
こんなたとえ話で、POPに説明してみたいと思います。
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通販のAmazonや楽天には、便利な機能があります。
自分の欲しい商品をチェックしておく、いわゆる「ウィッシュリスト」という機能です。
今すぐ買うのではなく、いつかほしい、という時に便利な機能なのです。
だいたいの「お願い事」は、このウィッシュリストに入っています。
(文字通り、願い=ウィッシュ)
神頼みやアファメーションなども、ほとんどはここです。
だれかがウィッシュリストをチェックしてくれて「あ、●●さんこれほしいんだ!あげよう」といって、ポチってくれたら、手に入れられるかもしれません。
でも、そんなことをしなくても、ほしいものを確実に手に入れる方法があります。
とても簡単です。
- ほしい商品をカートに移す
- 決済ページに移動する
- 決済する
- 届く
この流れで、欲しいものは確実に届きます。
ここで「え、当たり前だよね?!」と思われる方がほとんどでしょう。
そうなのです、当たり前なのです。
自分で選択し、行動すれば、宇宙(世界)は必ず動きます。
でも、多くの場合願い事は「カートにいれっぱなし」またはそれ以前の問題として「ウィッシュリストに入れっぱなし」なのです。
やりたいことがあっても、「●●だからできない、むり、わからない」が口癖になっていませんか?
「本当はそうしたいんです、でも状況が(仕事が、子どもが…etc)許さない」が口癖になっていませんか?
その状況は、だれが選択し、作り出した状況でしょうか。
その場に足踏みし続けることは、だれが選んでいるのでしょうか。
次の小さな一歩を、見出す選択と行動。
スピリチュアル以前の問題として、とても大切なことだと思います。
無理をしようということではありません。
ただ、第一歩としての「ありのまま」をみて、次の小さな小さな、本当に小さな行動は何ができる?と問いかける。
小さな前進から、壮大なものが始まると思います。
9月23日に向けて、大きくエネルギーが動いています。
ぜひこの2日間、「自らの小さな前進」に、心を向けてみて下さい。
本日も、素敵な1日をお過ごしください。
木田時輪
★ときわよりひとこと★
実際には、あなたは自分が思っているよりも、爆発的な可能性があります。
それを、小さく小さく、一歩ずつ、ぜひ受け取ってみて下さい。
今できる小さな一歩から、自分が変わり、世界が変わるとしたら?