- こんにちは、ときわです。
前回記事で、「一休さんのこと書きたいかも」と言っていたのですが、「こちら」につぶやいたまま、間が空いてしまってました。
さて、後小松天皇の御落胤として生まれ、運命の波ゆえに、幼くして仏門に入った一休宗純。(Wikipedia)
ここまで読むと悲劇の主人公っぽいですが、ところがどっこい!彼は、悲劇を選択しなかったんですね!
何を選択したか?
パンクとして生きることです。
世がわり時期のシャーマン・パンクス
一休は、既存の社会システムが、とっくのとうに無意味で、人の幸福を生み出さず、むしろマシーンのように動かす手段になっていることに気づきました。
ただ、自分も「天皇の命を狙ってる」と、いわれない中傷を受けた経験から、社会システム側の論法(常識)で行動・発言しても、色々無理だとわかったのでしょう。
そこでまさかの…
パンクスとしてのスタンスで行動開始!
独自のリリックで、風流活動を展開。(今の時代で言えば、パンクスorヒップホッパー&インフルーエンサー)
●発言例●
「世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」
「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」
●行動例●
★「あなたは悟ったで証」みたいな重要書類を片っ端から焼きすてる
★肉食/女犯/飲酒を行う
★杖のヘッドにドクロをつけ、「ご用心、ご用心」と叫んで回る
★あえて意味のない行動を公衆の面前で取りまくり、形式主義の無意味さをアチチュードで示す
リーダーではなく風流
一休のイケてる点は、やりきったことにあると思います。人間、口ではいくらでも綺麗事・徳の高いことは言える。では、その説法と行動は一致しているのか?
もっともクレイジーな行動を取る。
それを見た人がどう感じ、行動するかは相手に委ねる。自分はシンプルに思いと行動を一致させる。
このへん、イエス・キリストとも似てますね。
今という流れと一休
夏至から1か月。今、地球の気脈は「思いと行動を一致させていく」流れに入っています。
私たちも、自分らしいやり方で、ますますパンクに、自由に生きたいですね★
今日も楽しい一日をお過ごしください。
木田時輪