こんにちは、ときわです。
今日も奈良からお送りしています。
学生の頃、言語学の授業で教授がポツリといった言葉があります。
言語が滅びるとき、国は滅びる。
方言が滅びるとき、その地域の衰退は、すでにだいぶ前から始まっている。
言語学は、ゆえに社会の鏡である。
19歳の時に聞いた言葉ですが、非常に強い印象が残っています。
世界中にはさまざまな言語がありますが、その全てが解読されているわけではありません。
ひとつの文明の栄枯盛衰。その裏に隠された無数のエピソード、それらの大部分は、今日に至るまで解読不能であり、大いなる謎です。
ゆえに、言語が存在するうちに、その言語の「今」を知ること、その基礎となる文法を理解し、照合・検証することはとても大事です。
編集者による校正、論文の査読等はこの意味でも大切であると思います。
言語は時代によって用法が違う為、ベースとなる言語基盤がなければ、意図は伝わりにくいからです。
現代日本語を取り巻く状況
以下に述べるのは、私の私見です。
現代の日本語は「集団言語から個人言語への変貌」を遂げる、興味深い段階にあると思います。
コミュニティのウチソト(境界)を設定する社会的アイデンティティーの言語から、個人のアイデンティティーを表現するツールへ。
文化基盤としての言語から、個を構成する要素としての言語へ。
これは、かつてない大きな変化です。
炎上の正体と言語
昨今、「炎上」がよく話題になりますが、炎上ニュースを観察すると
・論点の誤認
・文脈の読み違え
・情報の任意操作
この3点が、火種となっているように感じます。文章の読み違えは、「助詞の意味を曖昧に理解し、誤用」している事例が多いためであると推察されます。
簡単に言えば、日本語ネイティブの話者の間で、日本国文法が廃れつつあるということです。
「明治以来の国語」から、「言語ツールとしての日本語」への大転換が起きていると感じます。
言霊と言語
古来、日本語には言霊が宿ると言われていますが、この大転換の中で、言霊はどう変化していくのか?言霊とエネルギーの新しい関係が生まれるのか?言語が生きるとは、どういうことなのか。あるいは、その逆とは何か。
最近、それが気になります。
あなたが何気なく使っている言葉が、他ならぬ自分自身の変化の指標だとしたら?
春分の大きなエネルギー変化を前に、注目していきたいですね。
それでは、素敵な週末をお過ごし下さい。
木田時輪